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2016年公開の映画61本をランキングにしてみた。


2016年は353本の映画を鑑賞することができました。あと少しで365本でしたが、惜しくも届かず。『ウォーキング・デッド』観たり、PS4買って『ラスト・オブ・アス』や『ウィッチャー3』をやったのが原因でしょう。1日/1本を緩めに目指していたので残念ですが、良い映画にはたくさん出会えたのでよしとしたいです。

公開作品は61本鑑賞できました。あまりお金のことを気にせず、劇場に行ったりレンタルしたのが大きかったのかも。6本に1本は今年公開の映画ということで、このあたりの比率も今後キープしていけたらいいなと思います。

それではランキングです。

1位:『ズートピア』
1位:『シング・ストリート 未来へのうた』
1位:『怒り』
1位:『この世界の片隅に』
5位:『ヒメアノ~ル』
6位:『シン・ゴジラ』
6位:『何者』
8位:『イット・フォローズ』
9位:『イレブン・ミニッツ』
9位:『デッドプール』



悩んだ4作品をまとめて1位にしました。TOP10のうち半分が洋画邦画の比率が半々とのことで、今年は多くの良作邦画に出会えたかと思います。全体的にも邦画が優秀な年でした。

せっかく61本も観たのに『イレブン・ミニッツ』以外は普通なランキングになってしまいました。『貞子 vs 伽椰子』でも10位にぶち込んでウケを狙おうと思ったのですが、やめました。

11位:『アイアムアヒーロー』
12位:『スティーブ・ジョブズ 』
12位:『サウルの息子』
14位:『スポットライト 世紀のスクープ』
14位:『ヘイトフル・エイト』
14位:『レヴェナント 蘇えりし者』
17位:『太陽』
17位:『リップヴァンウィンクルの花嫁』
19位:『ボーダーライン』
19位:『ローグ・ワン スター・ウォーズ・ストーリー』


ゾンビ映画好きとしては『アイアムアヒーロー』を10位以内に入れたかったのですが、ギリギリ落選。
『スティーブ・ジョブズ』はあまり褒めている人がいない中、僕は大好きだったのでニヤニヤしながら12位にしました。

21位:『貞子 vs 伽椰子』
21位:『エクス・マキナ』
21位:『グランドフィナーレ』
24位:『無伴奏』
24位:『オデッセイ』
26位:『92歳のパリジェンヌ』
26位:『ペレ 伝説の誕生』
26位:『ルーム』
26位:『ロブスター』
26位:『さざなみ』



このあたりも無難なランキングかと。『92歳のパリジェンヌ』『ペレ 伝説の誕生』は公開館数も少なく地味だったので、観ている人も少ないのでは?とても良い映画でした。


31位:『ちはやふる 上の句』
31位:『10 クローバーフィールド・レーン』
31位:『ハドソン川の奇跡』
31位:『Mr.ホームズ 名探偵最後の事件』
31位:『ヴィクトリア』
31位:『蜜のあわれ』
31位:『君の名は。』
31位:『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅』
31位:『グッドナイト・マミー』
31位:『ノック・ノック』
31位:『シビル・ウォー キャプテン・アメリカ』
31位:『スクリーム・ガールズ 最後の絶叫』
31位:『COP CAR コップ・カー』
31位:『ジェイソン・ボーン』
31位:『サウスポー』
31位:『64 ロクヨン 前編』
31位:『ライト オフ』



31位は「面白かったけど、甲乙が付けられるほどじゃないな…」という順位です。ファンタビは泣きながら最下位にする未来すらあったので、この順位でよかった。


48位:『64 ロクヨン 後編』
48位:『ザ・ボーイ 人形少年の館』
48位:『ちはやふる 下の句』
48位:『バチカン・テープ』
48位:『ゾンビマックス! 怒りのデス・ゾンビ』
48位:『五日物語 3つの王国と3人の女』
48位:『ZOOMBIE ズーンビ』
48位:『X-MEN アポカリプス』
48位:『レジェンド 狂気の美学』
48位:『神様メール』


31位は「そこそこ面白かったけど、甲乙が付けられるほどじゃないな…」という映画。あんまり映画を否定しないタイプなので、例えば『レジェンド 狂気の美学』がここなのは悲しいです。もうちょっと面白くなればよかったのに。

58位:『ヘイル、シーザー!』
59位:『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』
60位:『テラフォーマーズ』
61位:『スーサイド・スクワッド』



『ヘイル、シーザー!』は昨年の三谷幸喜『ギャラクシー街道』枠です。全く意味がわからずコーエン兄弟を嫌いになりそうです。『テラフォーマーズ』は真正面から破綻していたのに対して、『BvS』『スーサイド・スクワッド』は同じ理由です。DCのヒーロー映画が本格的に嫌いかもしれません。
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高速で移動する新幹線の中で2016年を総括した話


私は大学生になってからというものクリスマスを過ぎないと実家に帰らない。研究が忙しかったり、奇跡的に彼女ができたりした年もあったので、帰れないということもあった。しかしクリスマスにわざわざ無理やり予定を入れ、そうしてわざと12月26日などに帰る年が多い。なぜか、と問われればそれは何とも小っ恥ずかしい話なのだが、簡潔に言えば見栄である。父母や祖父祖母に、元気で大学生活を送っていることをアピールするためだ。「ちょっとクリスマスは予定があってね」そう言えば、男を子に持つ肉親は手を叩いて喜ぶ。正確には喜ぶものだと思っている。ああ私の子も、人様に見せられるようになったのだなあと、母が泣いている様子を思い浮かべるのだ。

今年の12月26日、私は新幹線に乗って神戸の友人に会いに行っていた。一晩泊まって翌27日に岡山へ戻る予定だ。うっかり自由席を取ってしまったがために、うっかり品川から乗ってしまったばっかりに、私は席に座れなかった。普段ならどうってことないが、その日私はどうしても席に座りたかった。それは風邪を引いていたためである。

2016年は体調を崩さない年であった。別件で病院には長らく通っていた時期もあったが、発熱などの症状からではなかった。ミクロで考えれば、それは食生活に起因するはずだ。確かに年の後半はコンビニで食事を用意することが多かれど、サラダを中心とした、しかも価格を気にせずに選んで食していた。だがマクロで考えれば、いかにも古臭い信心深さが滲み出て嫌だが、初詣で一年の健康を祈ったからに違いないと思っている。一年間それほど大それて悪いことはしなかった。人を傷つけなかったか、と問われれば些か自信はないが、それでも今年1年間だけ見れば、私は天国へ行ける。はずだった。

私はクリスマスにやや羽目を外した。具体的な内容は避けるが、かなり刺激的で楽しいクリスマスであった。が、今年一年積み上げた徳が相殺まではいかないまでも、粗いやすりでゴシゴシと削られた気分ではいる。名誉のために書いておくが罪を犯したわけではない。ただ両親には言えない。

空席を探すのを諦め、けだるい体を奮い立たせて自由席の車両と車両の間のスペースに立って、私はぼんやりと外を眺めていた。静岡あたりは田舎だ。田んぼや野原が高速で車窓を横切っていく。その様はまるで、緑が振動して何かを振るい落とすかのようだった。私も高速で移動する新幹線の上に立てば、私を犯す風邪菌や体温、または不道徳をそっくりそのまま静岡に置いていくことができるのではないか。気づけばそんなつまらないことを考えていた。

2017年はいよいよ私が社会に出る。その前に修士論文を出し、大学を出なければならない。私は賢い人間ではないので、社会が諸手を挙げて受け入れてくれるとは考えづらい。持ち前の声の大きさでここまでやって来たところがあるので、社会でそれがどのくらい通用するのかわからないが、しばらくこの大きな声に依存したいところである。それでは足らぬところを補うべく、普段から善行を意識したい。善行は善行として自分に跳ね返ってくることも多いが、今年は健康に跳ね返ってきた。健康を失ったのでは、社会で生きていくのは困難である。来年は一日一善、健康第一を目標に掲げたい。名古屋に到着し、ようやく席につけた私は、鼻を啜りながらそんな目標を立てた。

これをもって2016年の総括とします。
皆さま良いお年を。

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ゲーム『The Last of Us』をやってみて感じたいくつかのこと


はじめに
テレビゲームを禁じられてきた少年時代を経て、その影響かは知らぬが今ではすっかり映画好き、専ら血みどろ映画を興じるようになってしまった。そんな僕が、初めて自宅に置いたテレビゲーム機PS4で初めて起動したゲームがゾンビゲーム『The Last of Us』であったのは、何かの縁かもしれないのである。

映画鑑賞後にはレビューサイトに駄文を投稿し悦に浸るのが常だ。『The Last of Us』クリア後に思わずレビューを書きたくなったが、書き残す場所がないのでこちらのブログに掲載することにする。記事のURLはTwitterで呟くので、大いに拡散していただき、私の自己顕示欲を存分に満たしてほしい。

本ブログではネタバレが全開なので注意していただきたい。

あらすじ
ゾンビが蔓延する世界。20年前に娘を失った男ジョエルは運び屋という裏稼業で生活していた。反政府組織に接近した際、依頼されたのが免疫を持つという少女エリーの移送。初めは気乗りしなかったが、旅の道中で徐々に距離を近づけていく。

屈強な男と少女
主人公と少女との組み合わせではじめに思い出されるのが映画『レオン』であろう。無口な暗殺者は偶然助けた少女と行動を共にすることになる。『レオン』について評するときによく持ち出される表現が「疑似恋愛」。親子ほど年の離れた男女の間に親子愛以外の生まれるのか、である。『The Last of Us』におけるジョエルとエリーの関係は『レオン』と酷似している。

『The Last of Us』で描かれるのは親子愛である。だが、実際に親子ではないため「擬似親子愛」だ。ラストの解釈の先にあるのは親子愛の本質である。ゲームで時系列順に読み取ったことを記していき、ラストシーンについて書いていきたい。

テスとの関係が示すこと
妻とも別れ、最愛の娘を亡くしたジョエルは「愛」を絶った状態にあった。これは仕事仲間であるテスとの関係が明示している。始めエリーの移送に関し、テスは賛成、ジョエルは反対していた。ジョエルの反対の理由は娘を失ったことによる「同年代の少女」への恐怖心であろう。娘とよく似るエリーを見たときから、娘の顔がちらついてしょうがなかったに違いない。

そしてテスの死に対し、ジョエルは任務の遂行を心に決めた。テスのやり残したことを完遂してやる、という気概が感じられる。共闘関係にあり、お互いを尊敬していながらも、決して愛には発展していないのだ。これは映画『マッドマックス FR』のマックスとフィリオサの関係に似る。

ジョエルの成長、そして擬似親子関係
ジョエルはエリーに銃を持たせることを拒んでいたが、途中で銃を渡すことに決める。きっかけは二人に迫るピンチを脱するためであったが、乗り越えた後も没収することはなかった。この時からジョエルはエリーに対して愛を感じるようになっていたように思う。

ここで芽生えたのはジョエルのエリーに対する親としての愛情だ。銃を与えない、という選択はあくまで管理しやすい移送物としての対応であろう。しかし銃を与えたことによって、ジョエルはエリーの成長を促したのだ。親が子に勉強を教えるのと同じである。娘が死んだ時から親としての成長が止まっていたジョエル自身の成長という意味もある。思い出されるのはWDのリックとカールだ。WDで描かれていたのはリックの父親としての成長である。

ジョエルから確かな愛を感じ取っていたエリーは、ジョエルが弟に自分を預けることになると聞いて馬に乗り逃げてしまう。ジョエルからの愛を確認したことで、エリーはジョエルへの愛情を深めていく。一方ジョエルもエリーに命を助けられたことで、より愛情を深めていくのだ。ジョエルの口から自分の娘とエリーを会わせたい、という発言もある。初めは考えられなかったことだ。

ラストシーンの嘘について
さて、ここでラストの展開について簡単にまとめておきたい。反政府組織の残党が研究を続ける病院にエリーを届けたが、エリーの命と引き換えに薬を作ることを知ったジョエルは、病院の人間を全て殺した上でエリーを連れて逃げ出し、弟のところへ戻る。病院で何があったのか聞かれたジョエルは「他にも免疫を持った者がいた」と嘘を付き、ゲームは終わる。

エリーはジョエルの嘘に気づいていたに違いない。だが、それを指摘することはせず、エリーは黙っている。さらにどうやらエリーは今後一生ゾンビ化しない、というわけではないらしい。その証拠にラストシーン直前のエリーの傷口が少し広がっているのが確認できる。しかしエリーはジョエルにそのことを言わない。

二人はお互いに嘘をついて終わるのだ。私はここに二人の親子愛の完成を見たように思う。ここで言及しているのは親子愛もしくは愛そのものは嘘によって構成されている、ということだ。サンタクロースは良い子の元にしかこない、と嘘をつく。親元を離れた子は決してよくない状況にあっても、親には「元気にしているよ」と嘘をつく。これらは親子愛そのものだ。お互いを思いやる上での美しい嘘である。

ゾンビ作品の面白さ
ゾンビが蔓延する世界の中で、ジョエルは明日死ぬかもしれない。さらにエリーの病状が悪化するかもしれない。未来には希望が全く見出せないのだ。そんな中一縷の希望であったエリーの血を使うことをジョエルは親子愛を重んじるあまり拒むのだ。非常に利己的で愚かな行為だが、人間性に溢れている。

ゾンビを題材にした作品が面白い理由は、死して歩く者を題材に人間性を描く逆説性にあると考えている。ジョエルとエリーのあまりに愚かな嘘は、親子愛によって育まれた人間性の結実と言えよう。見事である。

後記
なんの裏付けもしていないので、もしかすると読み誤り、もしくは作者の意図とと反するものがあるかもしれないが、あまり気にしないようにした方が良いというのは映画鑑賞において学んだことである。

それにしても映画鑑賞に比べて、ゲームにすると人物への感情移入がし易いように感じられる。ジョエルやエリーがピンチに陥ると「死なないで!」と心の底から願っている。

ゲーム操作がめちゃくちゃ下手なので、ジョエルは既に何度も死んでいるのはこの際忘れることにしたい。

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ビビン丼とビューティフルドリーマー


「明日の夜、私はオーストラリアに経つ。最後の晩餐などという仰々しいものではないが、私は自宅近くの松屋でビビン丼を待っていた。いつもこの松屋に来るのに大した理由はない。ただなんとなくご飯が食べたいなあ、などと大学の駐輪場を出る時のふとした思い付きである。しかし、今日は違った。自宅で食事をしようとした場合、ゴミが出る。1週間ほどオーストラリアに行く私は、放置した生ゴミの行く末を案じたのである。ごみを出さないために外食をする。自宅から一番近い飲食店が松屋なのである。松屋が私に最後の晩餐を提供し続けてから、もう6年目になる。

「お待たせいたしました、ビビン丼並盛りです」

私は軽く会釈をした。愛想のない店員に、というよりも、最後の晩餐に、である。ビビン丼とサラダの付く定食とで迷ったが、どうせならオーストラリアで絶対食べないようなものにしようという心意気がビビン丼を選ばせた。私は「いただきます」と口の形だけ作り、トレーから箸を取り出した。少し丼を持ち上げるとコチュジャンがプンと香った。と、同時に私の脳内に一つのつまらないアイディアが思いついた。考えを進めるまでもないつまらなさである。箸を進め、パクパクとビビン丼を食べ進めた。美味しい。が、この程よいカプサイシンの辛味によって、先ほどたち消えたアイディアがまた噴出する。拭えない。おかしい。

私は、出発前夜を繰り返しているのではないか。

何度も食べているためこの匂い、この味に覚えは当然ある。不思議なことにその記憶とオーストラリアへの出発前夜である自分とが紐付いているのだ。確かにオーストラリアへ行くのは初めてではない。昨年もちょうど同じ時期に旅立った。もしかすると去年の最後の晩餐の記憶が蘇ったのかもしれない。奇遇にも昨年もまたこのビビン丼を食べていたのかもしれない。が、紐付いた記憶は去年のように思えないのだ。つい最近、まるで昨日のような気がする。私は肉を食みながら、今日一日をゆっくりと思い返し始めた。が、それほど特別なことをしていない。確かに研究成果を発表する学会投稿がギリギリという焦燥感があるが、これはいつものことである。毎日が同じなので、昨日と同じであるか否かを検証するに至らない。いつもと違う行動を強いて言うならば、ここ、松屋での食事である。味覚、嗅覚への刺激が私にループ自覚させたのではないか。

まさか。私は丼を置き、紅ショウガをよそった。あまりに馬鹿馬鹿しい想像である。私は映画を観すぎたのかもしれない。ループする映画は数多く存在する。『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』は確かに大好きな映画だが、自らにその奇怪な現象が起きているなどと考えてしまうなんて。映画は学園祭前日をいつまでも繰り返す、というものだ。いつまでたっても訪れることない学園祭に向けて登場人物たちは準備に明け暮れる。確かに学園祭と海外旅行とはよく似ている。私にとっては年に何度もない珍しいイベントであるし、当然出発に向けて荷物こそ詰めていないものの、その他の準備は整えてある。そんな気持ちの昂ぶるイベントを前に、一日を繰り返しループする。実際に身に起こっているなどという陳腐な発想をしてしまう理由はなんとなくわかったような気がする。私はいつの間にか山のように盛っていた紅ショウガをつまんで口の中に放り込んだ。独特の酸味が鼻腔を突き抜ける。

また、である。また私の記憶はしっかりと結びついた。これは確かに”昨日”と同じ感覚だ。ループしている可能性について、その発想の根源を探った上で否定したばかりでやぶさかではないが、もしかすると、本当に、私はループしているのかもしれない。

ダラダラとビビン丼を食べながら、私は自分の考えを裏付けるべく、いや、否定する方法を考えた。私があまりにゆっくり食べているせいで、私の後に食べ始めた目前の老人は既に食べ終え、席を立った。私は何の気なしに彼が店外へ出て行くのを確認した。扉が開くと同時に私と同年代くらいか少し幼いくらいの大学生二人組が入店した。厨房からは「いらっしゃいませ」と、声が聞こえる。二人は券売機で食券を買い、テーブル席に着いた。店員が注文を聞きに向かうが、席が離れているため何を注文したのか聞きとることはできない。

私は脳内でかすかなひらめきがあったのを感じた。最初は何事か不明であったが、集中をすれば次第にそれが”予知”であることがわかったのだ。

「カレー…?」

私は思わず呟いた。私は彼らがカレーを頼む、と“予知した”のである。確かに私自身が数十分ほど前にビビン丼かオリジナルカレーかで迷った。これは予知が単なる私の妄想である、という根拠である。しかし、本当に予知の可能性も否定できないこともない。例えば以前のループにおいて、私が同じように券売機の前で逡巡したとし、結局ビビン丼を選んだと仮定する。すると来店した学生二人が二人ともカレーを頼んだ時、私は「ああ、カレーでもよかったな」と強い感情を呼ぶのではないだろうか。その感情が記憶として次のループに引き継がれているとするならば…。

私はもう二口ほど残ったビビン丼を混ぜながら時間を潰した。スプーンが陶器に当たる音がかすかにする。私はもしや、と思い首を傾けて厨房を覗いてみた。席の位置から考えて、違和感のない程度で何を作っているのかくらいは確認できるはずだ。現在注文中の客はあの二人組だけである。厨房でプレミアム牛めしが垣間見えたなら、私はすぐに残ったビビン丼を平らげて店を出ることにしよう。そうしてすぐに出国の準備をするのだ————————

厨房にはオリジナルカレーが二皿、鎮座していたのである。

私は慌てて目を逸らした。ああ、なんということであろうか。まさか、予知が当たってしまった。これは、本当に、もしかするとループしているのかも、しれない。私はこの2016年8月19日に取り残されてしまったのか…?
私は残ったビビン丼を平らげた。まるで目の前の現実から逃げるかのごとく、席を立った。無心であろうと意識すればするほどに考えてしまう。ぼんやりとまた先ほどの感覚に襲われた。私は泣きそうになりながら脳内を占拠する“また新しい予知”に、為す術が、ない。

「オリジナルカレー二つとお味噌汁と…”豚汁一つ”、お待たせしました」

私は“忌まわしい予知通り“の店員の声を背中に聞きながら、松屋を後にした。むあんとした夏の空気が私を包み込む。トロトロとした湿気は私に絡みついて離れない。私はお気に入りの黄色い自転車にまたがり夜のバイパスを滑走した。幾分か湿気は払われたように感じる。私は無数の車が発するライトに目をくらませながら、一つの映画を思い出した。『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』で諸星あたるが買い出しに誰もいない夜の街を車で走り抜けるシーンだ。
冷蔵庫に酒が数本残っていたような気がする。その酒を煽りながら、今日は寝よう。スーツケースに荷物を詰め込むだなんて、全く意味のないことなのだ。なんてったってループしているんだから。せっかく荷物を満載にしたスーツケースも寝て起きれば、また、空っぽに、なっているから————————」



一緒に行く叔母「っていうのが、今日空港に遅刻した理由?」
僕「うん」


出国には余裕で間に合いました〜〜!オーストラリア楽しかった〜〜〜!!!コアラ最高〜〜〜〜〜!!!

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かけうどん(大・冷)


私が丸亀製麺へ入店したのが午後5時を少し過ぎた辺り。晩飯にしてはやや早い時間である。少し早めの昼にしたせいか、午後の3時を回った辺りからやや腹が空いていたのだ。いつものように研究に勤しんでいた私の脳内は次第に食欲に占拠されていった。仕事が片づく前から、私は丸亀製麺に行くと決めていたのである。2日前に酒を浴びるように飲み、酒を飲まない人の生涯飲酒量ほどのアルコールを濾過した私の内臓は疲弊していた。そんなとき消化の良いうどんはぴったりである。ただその因果関係には誤りがある。酒を飲んだからうどんを食べるのではない―――――

私はうどんが大好きなのだ。

扉を開ける塩気を含んだ熱気が身体を優しく包み込んだ。丸亀製麺独特のものである。例え視覚を失おうとも、私なら丸亀製麺への入店を即座に感じ取ることができるであろう。私は店内をさっと見回した。時間も早いのでまだ客はまばらだ。良いうどんが味わえそうである。厨房をぐるりと取り囲むようにカラリときつね色の揚げ物、さらにそれを囲んで客席がある。厨房と客席との関係は、まるでステージのようだ。以前私と一緒に来店した先輩は、丸亀製麺で働くスタッフを「まるで家族だ」と表現した。私は上手い例えだ、と手を叩いたが内心はそのように思っていなかった。私は”バンド”のようだ、と思う。うどんを茹でる者、揚げ物を担当する者、いなり寿司を作る者、会計をする者、皿を洗う者。誰一人として同じ動きをしている者はいないが、お互いを感じ取り完璧なパフォーマンスをすることで驚異的な回転率と素晴らしいうどんを全てのオーディエンスに提供する。無骨であり、繊細。私たちはただうどんを啜るのではない。うどんを感じるのだ。

注文が私の番になった。母親よりも少し幼いくらいの淑女が私に語りかける。
「ご注文をどうぞ」
私に迷いはなかった。
「ヒヤ・カケ・ダイ」
かけうどん(大・冷)のことである。最近は専らこいつだ。足繁く通い始めたころは「めんたいかまたま」ばかりを啜っていた。ラーメンに匹敵するその抜群の食べ応えは私の胃袋を掴んで離さなかった。しかしある時、それほど腹の空いていない時にかけうどん(並・温)を食った。これまでの私は死んだ。これがファーストインパクトである。月日は過ぎて、季節は夏。いつものように注文しようとした私は、かけうどんのメニューに「冷あり☑」の文字を見た。興味を持った私はその夏、また、死んだのである。

私はヒヤカケダイを受け取り、ススと横へずれる。あまり選ばないようにかしわ天を皿によそってレジの前へ。私は用意していたスマホを取り出した。「かしわ天無料クーポン」である。最近の大事件と言えば、SMAPの解散と「丸亀製麺アプリ」のリリースであろう。通常130円もするかしわ天の無料クーポンなどを配布し、クーポン界の常識を覆したのだ。10円引きなどというケチなクーポンばかり配布するハンバーガー屋には見習っていただきたい。

390円を千円札で支払った私は、大量の青ネギとショウガをよそって壁際の席に落ち着いた。割り箸をパキリと割れば準備万端。後はうどんを楽しむだけである。はやる気持ちを抑えて、私はうどんの前で静かに呼吸をした。温であれば出汁によって蒸された薬味の香りがするが、冷であればその香りはない。ただ単調な青ネギの香りがするだけである。私はふと、初めて冷を注文したときのことを思い出した。随分がっかりしたものである。

―――――――――うどんを口に入れるまでは。

口の中にこの世のものとは思えない、幸せが広がった。”かけ”だから味わえる、どこまでも優しい出汁と微かな塩分のうどん。讃岐うどんならではの噛み応えは十分に感じられる。爽やかな喉越しも筆舌しがたい。温であれば、飲み込むまでに幾分かのタイムラグがあるが、冷であれば十分にうどんの滑らかさを感じることができる。
冷やしならではの薬味との相性も素晴らしいの一言。青ネギと一緒に頬張ればヒヤカケはその表情を変える。キリとした辛みは一生飽きが来ないのではないか、と思わせる刺激を与えてくれる。この辺りから私の脳内は麻薬で浸りだし、蕩け始める。ショウガを混ぜればまた変化するのだ。ネギとは別種の辛みが、決して邪魔にならず、完璧な調和をもたらす。

半分程度食べた辺りで、丼を持ち上げ汁を啜る。薄味の繊細な出汁が五臓六腑に染み渡るのを感じる。私は幸せとはなにか、を考え始めた。本日8月15日は終戦記念日である。私がこうしてのほほんとうどんを楽しめるのも、今こうして平和に暮らしているからなのだ。今いちど平和に、そしてうどんに感謝しなければならない。

ここで私は一度休憩を挟む。そのまま食べ続けても良いが、それでは楽しみがすぐに終わってしまう。私は起動しっぱしの「丸亀製麺アプリ」のクーポン獲得ボタンを押し、今日のレシートにかざす。「揚げ物50円引き」クーポンである。私は次回、揚げ物を50円引きで食べることができるのだ。クーポンはいいな、としみじみとする。今日獲得したときに既にお得になったような気分になり、次回使うときに今度こそ本当にお得になるのだ。実際お得になっているのは50円分だが、実質100円、いやこの幸せはプライスレスだ。

私は割り箸を手に取る。身体が次なるうどんに備えようとするのがわかる。しかし私は一度割り箸置き、代わりに七味を手に取りうどんの上で傾けた。透き通った出汁がサッと朱に染まる。ここまで姿形を変えてきたうどんが、ここに来てもう一段階進化する。セルだ。私は完全体と化したセルに臨むのだ。しかしその勝負は目に見えている。うどんを口に含んだ瞬間、完全に負けた。今日も負けた。私は今後一生、ヒヤカケダイの虜となることが決定したのだ。この呪縛から逃れる術は、ない。

最後に丼底に沈んだ、ややふやけた短めのうどんと出汁、その他薬味を一度に口に含み、うどんを食べ終えた。私は徐に立ち上がり、お盆を返却台へ持って行った。快活なお兄さんが「ありがとうございました」と言う。私は軽く会釈をしたが、本当に感謝の気持ちを口に出さなければいけないのは私の方である。

店を出た私は自転車に乗って大通りに出た。生暖かい風は気持ちの良いものではなかったはずだが、心地よい満腹感はそれを忘れさせてくれた。通りには学生の好む脂っこいラーメン屋などが立ち並ぶ。私も以前は食べていたな、と少し懐古に浸った。

例えばもし、丸亀製麺とラーメン屋とで選ぶことになれば、私は迷わず丸亀製麺を選ぶだろう。

例えばもし、大通りにある全ての飲食店の中から一軒選ぶことになれば、私は迷わず丸亀製麺を選ぶだろう。

例えばもし、この世にある飲食店の中から一軒選ぶことになれば、私は迷わず――――――――――――



大戸屋を選ぶ。
かあさん煮定食美味しいんだもん。

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